フェアレディZと星野一義と井出有治と…楽しく、誇りを持ちレースができたTEAM IMPUL(インパル)での思い出

■ピレリスーパー耐久レース2020・Rd.5 TKUスーパー耐久レース in オートポリスは…

●予選トップからのリタイア…悔しすぎる(涙)

#290 Floral Racing with UEMATSU・F・Link Home CIVIC TCR
#290 Floral Racing with UEMATSU・F・Link Home CIVIC TCR(Photo by折原弘之)

カートコース・新東京サーキット社長で元F1レーサーの井出有治です(笑)。まずはS耐オートポリス戦のご報告を。

2020年12月12~13日、ピレリスーパー耐久レース2020・Rd.5 TKUスーパー耐久レース in オートポリスが行われました。ラスト2戦、年内最後。我が#290 Floral Racing with UEMATSU・F・Link Home CIVIC TCRは、Rd.4 もてぎ戦終了時、102ポイントでST-TCRクラストップ! このレースで優勝出来たらシリーズチャンピオンが決まる大事な1戦です。

#290 Floral Racing with UEMATSU・F・Link Home
初のリタイアとなってしまった…クヤシイ!(Photo by折原弘之)

12日(土)の予選はブッチでトップ! そして13日(日)の決勝に挑みました。が…。

スタートドライバー・植松忠雄選手は序盤からペースが良く、2番手以降を徐々に引き離していきました。しかし、スタートから1時間ほど経過した25周め、ラジオから「水温が高くなってパワーが落ちた!!」と連絡が入りました。緊急ピットインでマシンをチェックすると、コースアウトもしていないのに石か何か?が飛んできたらしく、ソレがウォーターポンプのベルトを直撃しベルトが切れたことでオーバーヒート。エンジン内部にも損傷がありリタイアとなってしまいました(涙)。

シリーズチャンピオンは2021年1月23日(土)、ラストのRd.6 鈴鹿戦で決着です。まぁボクらのシビック、燃費は良くないけど速さがあるので、最終戦を思いっきり走ってチャンピオンを決めます!!

あ~~~~~悔しい…。でも最後まで諦めません!!

※文末に優勝した前戦、Rd.4ツインリンクもてぎ戦の動画がありますので、見てくださいね!

●NEWフェアレディZはマックのおまけ風!?

NEWフェアレディZ
ウ~ン、NEWフェアレディZは…マックのおまけ? チョロQ??
 NEWフェアレディZ
NEWフェアレディZは横から見たほうがS30風でカッコイイね。

皆さん、見ました? 2020年9月16日にお披露目された新しいフェアレディZのプロトタイプ。ボクの第一印象…「マックのおまけ?」でした(笑)。つぶらな瞳、長方形の口元、全体的にコロンとした感じ、そしてイエローカラー…。その雰囲気が一目見た時に「マックのおまけ?」としか思えず!

ボクがイメージするスポーツカーは、一言でいえば平べったいスタイル。Z33以降のZってアウディTT風の厚みのあるコロンとしたスタイル。Z35(になるのかな?)はS30風で、ちょっと西部警察テイストも。パワー的にはV6ツインターボでマニュアルだそうなので魅力的ですね。レースに出てきたら面白そうです!

JGTC・カルソニックIMPUL Z(Z34)
JGTC・カルソニックIMPUL Z(Z33)

そんな「マックZ!?」をきっかけに、ボクが「フェアレディZ」と聞いて思い出すのはやはり、TEAM IMPULで戦ったZ33の『カルソニックIMPUL Z』ですね!

●子どものころからの憧れ、TEAM IMPULでの思い出は楽しいことしかない!

星野一義さんと
ボクは星野さんの凄さにあこがれ、レーシングドライバーを目指しました。

TEAM IMPULの金子豊さんと出会ったことから、日本一速い男&ボクがレーサーを目指すきっかけになった星野一義さんのカバン持ちをさせてもらっていたのが、1996年(21歳)~1997年の2年間。

その後、TEAM IMPULで憧れのカルソニックブルーのレーシングスーツを着てレースができたのは、全日本GT選手権(JGTC/現・スーパーGT)2003~2005年の3年間と、レーシングスーツは白だけどmobilecast IMPULでのフォーミュラニッポン(現・スーパーフォーミュラ)2004~2005年の2年間です。そのJGTCでの3年間の内、2003年はR34・GT-Rで、2004~2005年がZ33でした。

井出有治29歳
2004年のTEAM IMPUL時代なので、井出有治29歳。今? 45歳になりましたー。

●2004年から2年間、TEAM IMPULで戦ったJGTC・カルソニックIMPUL Z

2004年4月3日、JGTC開幕戦のTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)。この年からニッサンのGT500はR34からZ33にマシンチェンジしました。

前夜から雨が降り続き、翌決勝日の午前中も雨。その後、予報通り雨は昼過ぎには止んだものの、しかしスタート時間が近づく14時になっても風は冷たく曇り空。インターミディエイト(雨用の浅溝タイヤ)で行くか、スリックタイヤで行くか…? 各チームがタイヤ選択で悩む中、カルソニックIMPUL Zはスリックでコースインし、グリッド上でタイヤを決めることにしました。が、やっぱりスリックでは全然行けない感じだったので「インターミディエイトで行きましょう!」って、ボクはエンジニアに伝えていました。

で、スタート前にトイレ行って戻ってきたら、他のライバルチームはインターミディエイトを選択していました。でも我がIMPUL Zはスリックのまま。スタート3分前になったらメカニックはクルマに触れてはいけないレギュレーションがあります。それまでにタイヤをどうするか決めなければいけないのですが…。

カルソニック インパルZ
スーッと開いた小窓から…!

【スタート5分前】…ドライバーズシートに座っていると、横のガラスのところにあるスライド式の窓がスーッと開き、星野監督が「スリックで…」「スリックでは難しいと思います…」とボク、「そっか」と星野監督。で、スーッとスライド窓は閉まりました。

【スタート4分前】…またスーッと窓が開いて星野監督、「スリックで…」え?エ?? 行けないってさっき言ったんだけどー(汗)。しかし星野監督の期待に応えたいと思い、「頑張ります!」としか言えません。

【フォーメーションラップ・スタート】…予選5番手からスタートしたこのレースはペースカー先導のまま、4周のフォーメーションラップとなりました。その間、必死でホイールスピンさせたりブレーキでタイヤを温めようとしましたが、一向に温まる気配がありません。

2004JGTC開幕戦
ウェットの中、スリックでスタート! 怖いよ~(泣)。

【決勝スタート】…5周め、レーススタート! スリックを履いているのはボクと予選1位のモチュール ピットワークZ・影山正美選手のみ。この2台、ラップタイムは他車と10秒以上も差があり、6周めにはGT500の16台中ボク12番手、影山選手は13番手まで落ち、列後方で『NISSANスリックタイヤ選手権』を2台でバトルしていました(笑)。

も~一瞬で周回遅れに。早めにピットインしタイヤを替えましたが、時すでに遅し。結果、8位でした。

レースが終わった後、星野監督は自分がタイヤ選択をしたことで凹んでいました。「誰が悪いわけでもなく、自分が行けると思い判断した、オレの判断が悪かった。自分の責任で申し訳ない…」と。そんなに謝らなくてもいいのに…と思ったのを憶えています。

カルソニックIMPUL Z
星野監督の期待に応えたい! その一心のみです。

あのとき、他の方に「スリックで行け!」と言われたら、キッパリ断ったと思います。が、スタート4分前、星野監督が窓をスーッと開けたときにボクは覚悟し、腹をくくったんです。星野監督が「スリックで行ける!」と判断したのならボクもその期待に応えたい! そう思いながらスタートしました。ただ、レース序盤は非常にキビしい戦いになるだろうな~…とは思いましたけどね(笑)。

必死に頑張ったけど、でもどうにもできなかったこと、星野監督には本当に申し訳なかったです。でもあのレース、ホント微妙な判断だったんですよね。あれが開幕戦の4月頭ではなく夏場だったら、チャレンジは成功したと思います。

●最終戦で勝つ男・井出有治は優勝後どこへ…?

カルソニック スカイライン
2003年はVQ30DETTを積むR34・カルソニック スカイラインで1年間戦いました。

この『雨のスリックタイヤ選手権をしたZ33』物語の前年、2003年11月30日の鈴鹿サーキット。当時「最終戦で勝つ男」と呼ばれていたボクは、2003年に乗っていたTEAM IMPUL・カルソニックスカイライン(R34)でも最終戦の鈴鹿300kmで優勝(シリーズは4位)! R34での最後のJGTCで優勝できたのがうれし過ぎたボクはゴール後、グランドスタンドとメインストレートの間にある高さ6mもある金網フェンスのてっぺんまでよじ上ったのです!

鈴鹿サーキットにて
フェンスの高さ6m…どーしてこんなとこまで上っちゃったんだろ(汗)。

が、しかし…、ボクは高所恐怖症。その後冷静になり、「勢いでこんなに高いところまで上っちゃったけど、どーやって下りよう…」って。すっごく怖くなり、ヘルメットをかぶっていたために下も見えず、ソ~ッとヘッピリ腰で下りてきた…なんてこともありましたっけ。このことは直後に「危ないことしちゃったな…」って反省しました(汗)。

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TEAM IMPULでレースをやらせてもらっている間、不満に思ったことは一度もありませんでした。レーシングドライバーとして星野一義監督に認めてもらえたし、誇りを持ってやっていたし、全部のレースを思いっきりやらせてもらえたのですごく勉強になりました。

TEAM IMPULでの話は尽きませんので、次回はmobilecast IMPUL(フォーミュラニッポン)でのお話を!

井出 有治/画像:折原 弘之・NISMO・AUTO SPORT・レーシングオン/アシスト:永光 やすの

※S耐 Rd.4で優勝したツインリンクもてぎ戦の動画を見てくださいね!(井出有治)

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元F1レーサー井出有治がカートコース「新東京サーキット」オーナーになってやりたいこととは?
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P10プリメーラをブン回せば気分は星野一義!【井出有治のとにかく楽しかった珍&名車3選・その1】
https://clicccar.com/2019/05/14/812957/

【関連リンク】

井出有治オフィシャルサイト
https://www.yuji-ide.com/

レースとクルマの電子雑誌書店 ASB電子雑誌書店
https://www.as-books.jp/

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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