ボンネビルは地上最後のクルマの楽園! 383km/hオーバーのコクピットは不気味な静寂が漂う…らしい【OPTION 1986年11月号より】

■世界最高速大会 ボンネビル スピードウィーク大特集

●200マイルオーバーのコクピットから見えたものとは?

初めて(多分)のボンネビル世界最高速大会取材をした1986年のOPTION編集部。前回は本番を迎えたレーシングビートRX-7の新記録樹立ドキュメント記事を紹介しました。

今回は、そのRX-7のステアリングを握ったドライバー、ドン・シャーマン氏にDai稲田がインタビューした記事をお送りします。では早速!

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■Don Sherman(ドン・シャーマン)特別インタビュー

●オーバー200マイルのコクピットより

ドン・シャーマン
ドン・シャーマン:ミシガン州生まれの40歳ジャーナリスト。工学博士の資格を持つインテリだ。

OPT:まずは記録達成おめでとうございます。

ドン:ありがとう。でも天候が悪くなってしまって、イベントが中断してしまったのが残念だね。

OPT:それはモディファイスポーツ・クラスで走れなかった、ということですね。

ドン:そう、レコードを出したC/GTクラスはほとんど空力パーツの装着が認められていないからね。マツダスピード製のスポイラーでチャレンジしてみればけっこういけたんじゃないだろうか。エンジンだって4基あるうち、3基はまだ使っていなかったし…。ブーストも0.8から1.2kg/cm2まで上げるはずだったんだ。そうすれば400km/hの壁も突破出来て、日本の皆さんに喜んでもらえたんじゃないかな。

OPT:日本の感覚だと300km/hオーバーでも凄いんだけど、いったいボンネビルってところはどんなコースなんですか?

ドン:ご覧の通り、ここは塩水の湖が夏の間は干上がってしまうところさ。水面は水平だから乾いたところも基本的にフラットというわけ。けど、路面は砂みたいにダートじゃないのがここ、ボンネビルの特徴だ。塩の路面はクルマが1回走るだけでけっこう締まるんだ。アスファルトみたいに固いわけじゃないけど、タイヤもグリップする。

OPT:といっても、超高速でのタイヤは心配じゃない?

ドン:どこまで行ってもフラットだし、コースアウトしても安心だ。塩で多少スリップするのがいいのか、特に問題はないよ。

ボンネビル世界最高速大会
ボンネビル世界最高速大会は、どこまでも続く白い大地・ソルトレイクで行われています。

OPT:走ることとしての難しさは?

ドン:ひたすら真っ直ぐだからただ走るだけだ。ただ、計測する区間が往復で変わる(往路のベスト区間で復路は計測され、それが記録になる)から、その辺の走り方が大変だね。

OPT:このセブンの仕上がりはどうです?

ドン:人気のクルマだけに注目度は抜群。マシンの仕上がりもさすがというべき。パワーもバッチリだしね。ただひとつ、乗っていて問題になったのは、レーシングビートがあまりに軽くマシンを作ってしまったことだ。もちろんレギュレーションの範囲に収まっているんだが、ちょっとした路面の荒れでリヤがバウンドしてしまうんだ。するとそこでタイヤが空転してしまいオーバーレブしてしまう。結局それでエンジンを1基壊してしまった。

OPT:それで解決法はあったんですか?

ドン:ホントはいけないんだろうけど、リヤにデフケース、クラッチハウジングを積んで、そうこれだけで大体100kgくらいかな、バラストにしたんだ。

ボンネビルのコース
ボンネビルのコースはこんな感じ。

●240マイルの世界は、不気味なほどの静寂

OPT:ところで200マイルを超えた走りってどんなもんなんですか?

ドン:ボンネビルだと下は真っ白で、周りの風景の山も遥か彼方だ。そのためにどんなにスピードが上がっても、まるで雲の上を飛んでいるようなんだ。スピードに関しては恐怖感というものはない。ただ、エンジンを壊したときにスピンしたけど、4速に入っているときでスピードは180マイルだから270km/hか! コイツはちょっとチビりそうだったゼ。

OPT:ところで職業は何してるの?

ドン:日本にもあるらしいけど、アメリカで1番売れているカー&ドライバーという雑誌の編集長をやっているんだ。

DonとDai
宇宙服みたいなドライビングスーツが、スピードトライアルの決まりだ。ヘルメットもガスマスク付きだ。

OPT:ボンネビルではどれくらい走っているのかな?

ドン:よく聞いてくれたね。1974年はRX-3で160マイル、1978年は前のRX-7(SA)で183マイルのレコードを出しているんだ。いずれもマシンはレーシングビートのもの。ドラッグレースのセミプロライセンスもあるし、今年1986年はSCCAの耐久レースにも出ているゾ。

OPT:それじゃいつ仕事してるのかなって心配だね。

ドン:趣味は実益を兼ねるってワケさ。これで200マイルクラブにも入れたし、みんなにお礼を言わなくちゃいけないな。またレーシングビートがチャレンジするときも頑張るからね。応援しに来てくれよな。

OPT:どうもありがとう!

OPTION 1986年11月号
1986年11月号のOPTION表紙。

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ドン・シャーマンさんは米カー&ドライバー誌編集長ってことは、まぁ要はアメリカのDaiちゃん、なのでしょう!

それにしても、240マイルの世界は不気味なほどの静寂…とも語ったドンさん。そんな言葉を聞いちゃったからDaiちゃん、自分でも走りたくなっちゃったのかも!

次回は、Daiちゃんに同行してボンネビル視察?をしたRE雨宮・雨さんのブッ飛びレポートをお届け予定です! お楽しみに~。

[OPTION 1986年11月号より]

(Play Back The OPTION by 永光 やすの)

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この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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