ヘンリー・フォードとは?大量生産によってクルマを大衆化した「自動車の育ての親」【自動車用語辞典:クルマの偉人編】

■米国ビッグ3の一角であるフォード社を創立、T型フォードで米国モータリゼーションを牽引

●高い生産効率を実現させる、ベルトコンベアを使ったライン生産方式を開発

近代自動車産業の功労者としてまず名前が挙がるのはヘンリー・フォードであり、今日の自動車産業の礎を築き上げた人物です。ライン生産方式の大量生産によって価格を下げ、富裕層の自動車を一般の人にも購入できるようにした自動車産業への功績は極めて大きいです。

「自動車の育ての親」と呼ばれるヘンリー・フォードについて、解説していきます。

ヘンリー・フォード
ヘンリー・フォード(写真:Wikipedia @public domain)

●ヘンリー・フォードのヒストリー

・1863年:ミシガン州ディアボーンで農場を経営する一家の長男として誕生

・1879年:16歳で高校を中退して、デトロイトで見習い機械工として就職

・1882年:実家に戻り、蒸気機関の修理工として就職

・1891年:28歳でエジソン照明会社へ技術者として入社

・1896年:仕事を続けながら、4輪自動車を独自に製作

・1899年:37歳でデトロイト自動車会社を設立

生産したクルマは高価な割には低品質で不評だったため、1901年に解散

・1903年:フォード・モーター・カンパニーを設立

・1908年:低価格で扱いやすいT型フォードを発売

低価格に加え、主要都市に販売店を設けて販売網を整備したおかげで、販売は急増

・1913年:ベルトコンベアによるライン生産方式を導入し、生産能力を強化

ライン方式による大量生産は、他の業界にも採用されて急速な工業化に大きく貢献

・1918年:米国の自動車の半分は、T型フォードとなり、販売台数は1500万台を達成

・1919年:社長の座を息子のエドセル・フォードに譲る。

・1947年:83歳で死去

・1967年:自動車殿堂入り

●功績

エジソン照明会社のチーフエンジニアを務めながら、内燃機関の実験を繰り返し、1896年には「Ford Quadricycle」と名付けた4輪自動車を製作しました。

1903年設立したフォード・モーター・カンパニーでは、新しく設計したクルマの性能をアピールするため、初期のインディ500など様々なレースに参戦しました。また、当時の(氷上)自動車速度の新記録を樹立してフォードの名を広めました。

1908年に発売を開始したT型フォードは、4気筒エンジンとトランスミッションをボンネットで覆い、ステリングホイールは左側、サスペンションは半楕円形バネで構成されました。

富裕層相手の手作りの自動車が3000~4000ドル、T型と同クラスが1000ドルを超える価格であったのに対し、T型フォードは825ドルと低価格でした。

新車の記事や広告をあらゆる新聞に掲載させる広告戦略と、主要都市に販売店を配置するフランチャイズ方式を採用し、販売網を整備しました。

1913年には、ベルトコンベアによるライン生産方式を導入して、大量生産によって販売価格を抑えることに成功しました。1914年に販売台数は25万台を超え、1916年には最も安価なモデルでは価格は360ドルまで下がり、販売台数は47万2千台に達しました。

1918年、米国で保有される自動車の半分はT型フォードになりました。

●エピソード

・エジソン照明会社のチーフエンジニア時代に、会社のパーティで初めてエジソンに出会いました。その時自動車への熱い思いを語り、自動車の将来性についてエジソンの共感を得て励まされました。エジソンのお墨付きによって、自動車事業をさらに加速させました。

・優れた労働者を確保し続け生産効率を上げるために、労働者の待遇改善を図りました。

1914年、一般的な賃金の約2倍の日給5ドルを提示して、世間を驚かせました。フォード自身は、これを賃上げでなく、利益の分配と表現しました。

給料が増えれば自動車が購入できるようになるという、経済的な波及効果ももたらしました。


ヘンリー・フォードの凄さは、優れたクルマを作ったことではなく、高い生産効率と低コストを両立させた大量生産技術を確立させたことです。

結果として、自動車産業の構造が大きく変貌し、手の届かなかった自動車が誰でも手に入れる存在になり、これを機に米国のモータリゼーションが始まりました。

(Mr.ソラン)

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる