【真説「スズキ初代カタナ」第1回】伝説の名車はいかにして誕生したのか? その背景を辿る

■カタナのヘビーユーザーが初代カタナが誕生した経緯を改めて検証する

「伝説の名車」となりつつあるGSX1100Sカタナ。1980年にドイツで開催されたケルンショーにプロトタイプが展示され注目を浴び、翌1981年に海外でGSX1100Sカタナという名前で市販車がデビュー。さらに次の年、1982年に国内モデルのGSX750Sカタナが販売開始された。

…とまぁ、GSX1100S/750Sカタナについての情報はネット上でも数多く出てくる。

ところがだ。

いろいろなサイトを見て回っていると、微妙に話が異なっていることに気付く。これは古いバイクにはよくあるハナシ。メーカーが公式見解として詳しい情報を発信していれば何も問題はないのだが、1980年代前半に発売された車種でそんな文献が残っているのは稀。ゆえに当時のカタログや雑誌記事、伝聞などを情報元としているコトが多いので、受け取り方や解釈の違いで内容が変わっていくのだ。中には思い込みやカン違いなどにより明らかに間違っていると思われるサイトもあるのだけれど。

しかし、それらもインターネットあるあるだ。情報はひとつのソースではなく複数から入手、精査するのが基本。いろいろなサイトを読むのもひとつの楽しみと言えなくもない。

そこで、ここではそのソースをひとつ追加したい。GSX1100S/750Sカタナについてヘビーユーザーで、初代カタナのオーナーズクラブである「KATANA会」副会長も務めた自分が実際に体験したことや、取材などで当時の関係者やバイク乗りの先輩などから直に聞いた情報などを元に、自分なりに整理・解釈してアップしていこうと思う。

(2011年10月・KATANA会ミーティングにて)

(1998年12月・筑波サーキットにて。右側が筆者)

しかし必ずしも自分の話が正しくて、他が異なると主張するつもりはない。そもそもが40年ほど前から始まる古いハナシなので、当事者の記憶なども曖昧な部分があるのは否めない。地域差もあれば自分の感覚だって変わってきている。なので、濃い時代を歩んできた人物の「ひとつの経験談」として読んでいただければ思う。

まずは、GSX1100Sカタナが生まれる経緯から話していこう。

●バイクブームの最中、スズキは新たなフラッグシップの開発を推し進めた

日本は、1970年からバイクブームに湧いてた。1969年に登場したホンダCB750Fourを皮切りに1971年にスズキGT750、1972年にはカワサキ900SuperFour(Z1)などの名車が次々とデビュー。大排気量、大パワーが求められる時代になった。各メーカーとも世界に誇れるフラッグシップマシンを開発していたのだ。この時代、ボクはまだ子どもだったのでバイクブームの実感はなかった。けど親戚の家にあったマンガ『750ライダー』を読んだことは記憶に残っている。

(1969年式 ホンダ DREAM CB750 FOUR)


(1972年式 カワサキ 900SuperFour[Z1])

70年代は2ストが主力商品だったスズキだったが、時代はより排気ガスがクリーンな4ストを要望していた。そこで1976年には、初の4スト4気筒エンジンを搭載した大型バイク・GS750を発売。コンパクトで扱いやすい車格、高品質などで高い評価を得た。

(1971年式 GT750・水冷2スト並列3気筒エンジン搭載)

そして1978年、ついに初のリッターバイクとなるGS1000を発売。鈴鹿8時間耐久レースでヨシムラチューンのマシンが優勝するなど性能と信頼性の高さから海外でも大いに評価され、スズキの4ストを世界的なブランドに高めることができた。

(1978年式 GS1000・空冷4スト並列4気筒エンジン搭載)

そして、他社との性能競争がはじまる。スズキでもさらなる高性能のフラッグシップモデルの開発が進められた。ここでキーマンとなるのは、当時スズキでエンジニアとして開発に携わっていた横内悦夫さんと営業畑で活躍していた谷雅雄さんだ。お二人にはオーナーズクラブを通して面識があり直接お話を何度も伺ったことがあるので、敬意を込めて「さん」付けで呼ばせていただく。

(2006年10月 KATANA会ミーティングにて)

次回は、GSX1100Sカタナの誕生に秘められた彼らの当時の動きの話をしたい。

(横田和彦)