兄弟の絆が掴んだ成功【意外と知らないクルマメーカーの歴史・マセラティ編】

スーパーカーとは過激なものです。大きなエンジンを搭載し、甲高い音を立てて爆走し、本気を出せば時速は300km/hを超えられる実力を誇り、ルックスは人目を集めなければ気が済まないと言わんばかりの迫力に満ちています。

そんなスーパーカーの代表といえばイタリア生まれのフェラーリとランボルギーニが有名ですが、もう一つ忘れてはならないのが「マセラティ」です。

同車の特徴といえば、やはりルックスです。キリッと鋭い眼光のヘッドライトと、ローマ神話の海神ネプチューンが持つ三叉の矛「トライデント」を中央にあしらったフロントグリルを組み合わせた表情は、過激さが増すばかりのイタリア製スーパーカーの中では落ち着きを残しており、そこを支持している人が多いです。

そんなマセラティが誕生したのは、1914年のこと。アルフィエーリ、エットーレ、エルネストの三兄弟がイタリアのボローニャで創業したのですが、そのきっかけとなったのが鉄道労働者であった父・ロドルフォ=マセラティの長男である、カルロ=マセラティでした。

当初フィアットで働いていたカルロは、世界で初めて四輪制動付き自動車を開発したイソッタ・フラスキーニへテストドライバーとして転職し、弟のアルフィエーリをメカニックとして呼び寄せました。その後、カルロはビアンキへ転職したほか、航空機エンジンの設計と生産に関する会社を設立するなど、幅広い分野で活躍しましたが、1910年に肺の病気を患い他界。

カルロの死は兄弟に衝撃を与えましたが、当時ドライバーとしても頭角を現していたアルフィエーリは兄・カルロの会社を引き継ぐことを決意。途中、第一次世界大戦で徴兵されたものの、17歳のエルネストが昼はワークショップで働き、夜はアルディニ技術研究所で技術を磨くなどして、危機を乗り越えることに成功したそうです。

以降もスパークプラグや航空機を手掛けてきましたが、1920年にマセラティ初のクルマの開発に着手。それに際し、兄弟の一人でアーティストだったマリオによって、マッジョーレ広場のシンボルであるネプチューンのトライデントとボローニャの旗色である赤と青を組み合わせたエンブレムが考案されました。

その後、F1などのモータースポーツを始め、シルベスター・スタローン出演でお馴染みの「ロッキー」をはじめとした映画などのエンターテインメントの世界でもマセラティは成功を収めます。

現在は「グラントゥーリズモ」や「クアトロポルテ」と言ったスポーツカーやサルーンに加えて、「ギブリ」や「レヴァンテ」など新たなモデルを投入。ブランドの裾野を積極的に広げるなど、まさにブランドとして躍進の最中にあります。それら数多くの成功はマセラティ兄弟の絆が強かったからこそ得られたものなのです。

(今 総一郎)