メルセデスの果てしなきスピードへの挑戦!【OPTION1982年7月号より・後編】 

国産チューンドカー最強のライバルになるか!? 巨星メルセデスの強さに迫るこの記事。【前編】は創世記の挑戦、レース界への復帰序章を見てみました。【後編】ではスピードへの拘り、挑戦。そしてAMGのSPLさを見ていきましょう。

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OPTION最高速テストの見本か?
果てしなきスピードへの挑戦

スピードへの挑戦・・・・・それはメルセデスばかりではなく、自動車史の創世記にはクルマの開発=スピードだった。

特に名を馳せたのは1909年に開発したブリッツェン・ベンツ。OHV2万1500ccの200ps1500rpmパワーで、各地のスピード記録を樹立。1911年にはデイトナで228.1km/hをマークした。この時代から流線形が採用されたのは驚くべきアイデアだった。

その後スピードの舞台はサーキットレースへ移されていったが、GPマシンのノウハウを得るためにも速度記録車の研究は続けられる。この速度記録の大きなテーマはエンジン出力であるが、注目したいのは空気との戦いだ。いかに空気抵抗を少なくするか。しかも浮き上がる揚力も下げなければならない。全体的なスタイルもさることながら、ホイールを円盤状にカバーするアイデアは1909年のブリッツェン・ベンツがすでにトライしていたのだから驚く。

記憶に新しいのはC111シリーズだ。1969年に開発、3/4ローター燃料噴射バンケルエンジンの実験車だった。4ローターでは600cc×4で350ps/7000rpmを発生。300km/hに達した。

C111-3はメルセデス得意のディーゼルターボで2999cc、325km/h。ターボ車は403km/hまで達した。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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