【富士重からSUBARUへ】スバルの名前は四輪車のために生まれた

スバル車を生み出しているのは富士重工業。クルマ好きであれば当然の知識も、そうでない人にとってはスバル=富士重工業となっているとは限りません。そうした点での統一感を増す意味もあり、2017年4月1日より「SUBARU」と社名変更を行ないます。

ところで、「SUBARU」というブランドは、いつ誕生したのか、ご存知でしょうか?

そのためには少々歴史を辿る必要があります。

現在の富士重工業の系譜は中島飛行機(戦後「富士産業」に改名)に始まります。ちなみに中島飛行機のルーツといえる飛行機研究所が設立されたのが1917年。つまり2017年は100周年であり、そのタイミングだからこそ社名変更をする意義があるともいえます。

富士産業は戦後の財閥解体によりいくつもの企業に分離することになりました。その中の一社である富士工業が1947年に小型モビリティを生み出します。それがスクーターの「ラビット」シリーズです。この時代には、まだ「スバル」ブランドは存在していませんでした。

一方、航空機で培ったモノコック設計のノウハウを活かしてバスのボディを作っていたのが富士自動車工業。同社が1954年に作った乗用車のプロトタイプは、後に『すばる1500』という名前での市販が計画されました。

しかし、「すばる1500」はプロトタイプ止まりで市販には至りませんでした。実際に「スバル」という名前の四輪車が市販されたのは、1958年のこと。そのモデルこそ、軽乗用車の『スバル360』です。

なお富士重工業が生まれたのは1955年。スバル360は富士重工業となってから動き出したプロジェクトという点でも、正統なブランドのルーツというわけです。

そして、スバル360のフロントフードには、富士工業や富士自動車工業など5社が合併して一つの会社になったことを示す「六連星」のエンブレムが燦然と輝いていたのです。

(山本晋也)

この記事の著者

山本晋也 近影

山本晋也

日産スカイラインGT-Rやホンダ・ドリームCB750FOURと同じ年に誕生。20世紀に自動車メディア界に飛び込み、2010年代後半からは自動車コラムニストとして活動しています。モビリティの未来に興味津々ですが、昔から「歴史は繰り返す」というように過去と未来をつなぐ視点から自動車業界を俯瞰的に見ることを意識しています。
個人ブログ『クルマのミライ NEWS』でも情報発信中。2019年に大型二輪免許を取得、リターンライダーとして二輪の魅力を再発見している日々です。
続きを見る
閉じる