SUPER GT灼熱のタイラウンド、GT300は日産GT-Rの1・2フィニッシュ!【SUPER GT 2015】

現地時間で6月21日午後3時、決勝レースのスタートが切られます。

ポールポジションからスタートしたVivaC 86 MCの土屋武士選手ですが、そこに襲い掛かるのがB-MAX NDDP GT-Rの星野一樹選手。オープニングラップでVivaC 86 MCを抜き去りトップに立つと、その後ろからGAINER TANAX GT-Rのアンドレ・クート選手も抜きにかかり、序盤でGT-Rの1・2体制が確立してしまいます。

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トップに立った星野選手は一切手を抜くことはなくひたすらに35秒台で周回を重ねていきます。追うクート選手も決して遅いわけではなく3位以下をジリジリと引き離していきますが、どうしても追いつかない。

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29周目でピットインする2台のGT-Rですが、その時点でのタイム差は10秒以上も開いてしまいます。

25周目あたりから続々とピットインしてくるマシンを尻目にひたすらロングランを重ねていたのが、予選Q1でトップタイムを出したシンティアム・アップル・ロータス。40周でピットインする頃にはなんとトップに立っていたのです。いままでの不調がウソのような35秒台巡航という快進撃を見せました。

しかしそのシンティアム・アップル・ロータスがピットインするとトップは再びB-MAX NDDP GT-R、2位はGAINER TANAX GT-R。

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B-MAX NDDP GT-Rは高星選手、GAINER TANAX GT-Rは富田選手。ともにルーキーという二人の戦いで、当初16秒あったB-MAX NDDP GT-Rのアドバンテージも富田選手の34秒台連発の追い上げで徐々に差が詰まります。ゴールを迎える頃には9秒まで差を縮めますが、今一歩及ばず、優勝はB-MAX NDDP GT-Rとなりました。

それにしても、前にいれば追いかけるという富田選手の戦いぶりはとてつもない。ファステストラップこそ現地出場のREITER GALLARDO、トーマス・エンゲ選手が持っていきましたが、レギュラーチームの中ではトップタイム。昨年もDIJON Racingからタイ戦にスポット参戦した際に富田選手はファステストラップを残しています。タイは彼にとって相性のいいサーキットなのでしょう。

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トップ1・2のGT-Rに続く3位争いも白熱したといえます。GT-Rに抜かれたとはいえ3位に留まるVivaC 86 MCは松井孝允選手にチェンジしてからもポジションをキープ。そこに4位争いから抜け出てきたStudie BMW Z4のヨルグ・ミューラー選手が襲い掛かります。激しい攻防の末Studie BMW Z4が前に出ますがそれでもVivaC 86 MCは追いかけます。しかし、55周目になんとガス欠症状でピットイン。燃料補給後にエンジンを始動しようにもかかりません。熱による燃料パーコレーションが起きてしまい、ここでVivaC 86 MCは勝負権を失います。

それにしても凄かったのはStudie BMW Z4の追い上げ。スタートドライバーの荒聖治選手はある作戦のために終始ペースを抑え、38秒台から40秒台でラップを重ねます。ピットイン直前時点でトップから38秒差、順位で9位を走行していました。

しかしピットインの時、なぜ荒選手がそんなタイムで走行していたのかが明らかになります。なんとタイヤ無交換!タイヤ交換に要する20秒前後の時間を節約するために25周以上かけて荒選手はタイヤを磨耗させずに準備をしていたのです。そしてヨルグ・ミューラー選手に全てを託す。

この作戦が功を奏してStudie BMW Z4は3位表彰台となりました。

タイヤ無交換という作戦はGT500のPETRONAS TOM’S RC Fも、また同じGT300のグッドスマイル 初音ミク SLSも実行しましたが、成功したのはStudie BMW Z4だけ。運も味方につけての表彰台は格別だったことでしょう。

この記事の著者

松永 和浩 近影

松永 和浩

1966年丙午生まれ。東京都出身。大学では教育学部なのに電機関連会社で電気工事の現場監督や電気自動車用充電インフラの開発などを担当する会社員から紆余曲折を経て、自動車メディアでライターやフォトグラファーとして活動することになって現在に至ります。
3年に2台のペースで中古車を買い替える中古車マニア。中古車をいかに安く手に入れ、手間をかけずに長く乗るかということばかり考えています。
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