90年代国産セダンは「試行錯誤」、ワゴンは「独創」の時代でした!【90年代国産車のすべて/セダン&ワゴン編】


思い起こせば90年代の国産セダンは、「日本独自の背低セダン」と「アメリカ向けの幅広セダン」が入り乱れ、試行錯誤を繰り返していました。
前者の 「日本独自の背低セダン」は、トヨタカリーナEDをはじめとして、カローラセレス・スプリンターマリノ、日産プレセア、マツダペルソナ等が競っていました。マーク?3兄弟も低く見せるデザインを採用していました。ただこのカテゴリーのクルマは、バブル崩壊と共に急速に勢いを失ってしまいました・・・。
その一方で、日産は、実用性を備えた欧州志向のセダンを開発していました。走りと居住性を両立した初代プリメーラです。バブル期の90年に登場しましたが、虚飾を廃した本物感が新鮮で大ヒットしました。特にプリメーラは、日産が運動性能世界一を目指した「901運動」から生まれたFF車でした。


後者の「アメリカ向けの幅広セダン」の代表 は、トヨタカムリやホンダアコードでしょう。日本がバブル崩壊で低迷する中、市場が大きいアメリカにクルマ作りがシフトするのはやむを得なかったと思います。ただ幅広で大きいアメリカンサイズは、日本では受け入れられませんでした。
そこで日産は、99年発売のセドリック・グロリアで、サイズはほぼそのままでデザインを一新、日本では日産ブランド、アメリカではインフィニティブランドで勝負に出ました。ただ日本では先代・先先代のセドグロからイメージが離れすぎ、アメリカではサイズが中途半端となってしまい、共に販売では苦戦。セドグロ最後のモデルになってしまったのです。


セダンが試行錯誤する中、ワゴンでは確固たる地位を築いたジャンルがありました。ハイパフォーマンス・ワゴンです。
中でもスバルレガシィツーリングワゴンは、独創の「ワゴン+水平対抗ターボ+4WD」パッケージで、バブル崩壊をもろともせずに躍進しました。ちなみに93年にデビューした2代目は、後に三菱で指揮を取るあのブーレイ氏がデザインしていたとのこと、ビックリしました。
日産もローレル・スカイラインをベースにした高速ツーリングワゴンのステージアを発売。スカイライン譲りのパワーパッケージは素晴らしかったものの、やはりワゴンに強く求められたのは、レガシィツーリングワゴンのタフな走行安定性と走破性、そしてワゴン優先設計がもたらす機能性だったようです。


またワゴンといえば、日産ラシーンが印象的でした。日産は80年代後半から90年代を中心に、Be−1やフィガロ等のパイクカーを限定販売で展開していましたが、そのテイストの流れを汲んで実用性を織り込んだのです。
そういえば、昨年の東京モーターショーでは「ドラえもん」がトヨタのイメージキャラクタでしたが、実は94年ラシーンのCMに登場していました。今に続くクロスオーバーSUVのような新感覚を、「僕らのどこでもドア」というキャッチコピーで表現していたのです。

あらためて90年代を振り返ると、国産セダンは「バブル」と「アメリカ」の狭間で試行錯誤を繰り返し、ワゴンは独創のパッケージングで新しいジャンルを築こうとしていたのだと、あらためて実感した次第です。

(拓波幸としひろ)