もてぎに居た懐かしのスーパースター“Randy Mamora”【モトGP 日本グランプリ】

予選だけですがモトGPを見に行てきました。
すると、アライヘルメットのテントにはこんな掲示が…

うぇぇぇ!R.マモラといえば、’87年の鈴鹿の日本グランプリ(20年ぶり)で圧勝劇を展開、バイクブーム絶頂期の日本で「雨のマモラ」を印象付けたあのランディさんですかぁ!四半世紀前、しとしと雨のそぼ降る春の日に現場に居た者としては、これはテンション上がっちゃいますね。(因みに街中にもレプリカヘルメットが一杯走ってましたね。)

でも、サインは抽選が云々とかよく見かけるし期待薄。
遅い昼食を摂った後、健在ぶりを見たくてテントに行ってみると列の後ろに係員さんが居ますね。
話をしてみると、並べばOKと云うコト。
…とはいえ、サインしてもらう物なんて事前準備ナシだったので購入したプログラムにしてもらう事に。
流石に御年52歳、目尻の濠も深くなりましたねぇ。現役時代にはランキング2位が4度とチャンピオンに届かなかった「無冠の帝王」ながら、愉快な武勇伝も数多くファンに愛されたライダーでした。

サインをしてもらう際、
’87年の鈴鹿であなたの優勝を見ましたよ」と云うと、
「ラッキーストライク ロバーツ(チーム)?」とマモラ氏
そこで、「ブルーホイール」と伝えると、イイ感じで笑って頂けました。
ブルーホイールとは、マモラの決勝時のレインタイヤを履かせたホイールが本来の紅いホイールではなく、当時MS梶が谷から青いYZRでエントリーしていた藤原儀彦選手用の青いホイールでした。(平選手用との説もあり)この幸せの青いホイールを履いたラッキーストライクカラーの紅白のYZRでブッチギリの優勝を掴みました。

サインを貰いに並んでいる人は私を含めてやはりオジサン世代が多かった様ですが、子供の様な笑顔が目立ったのが印象的です。この後も暫くサインをされて居た様でファンを大切にする所は、現役時代と変わらない様でした。

マモラ氏は現在国際中継のピットレポーター等で活躍中だそうです。

ランディ・マモラ氏の経歴(ヤマハ発動機 WGP参戦50周年記念サイト)http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/wgp-50th/race_archive/riders/randy_mamola/
ライディングスポーツのHP http://www.ridingsport.com/

(川崎BASE)